携帯電話や携帯音楽プレイヤー、ビデオカメラなど、
高機能化、機能融合が進んでいる。
技術の進歩は、ある段階では集約が進むのが常であり、
このことは、様々な歴史が証明している。
しかし、この流れは要求される機能の段階が進むにつれて
停滞し、やがて分散(単機能化)に戻っていく。
現在の日本国内でガラパゴスといわれている携帯電話も
高機能化が進み、フルHD録画機能付き携帯や、
12k画素以上の静止画カメラ付きのものも出てくる。
しかし、このことによってコンパクトデジカメや、一眼レフデジカメ、
HDビデオカメラがなくなることはない。
究極的には、「その程度の機能でよければ携帯で十分」だが、
ある限界を超えると「高性能な専用機」が必要になるのだ。
たとえば、軍事技術を見ても、「戦闘機」と「要撃機」のような細分化が進んでいるし、
「地対空ミサイル」と「迎撃ミサイル」も細分化が進んでいる。
これらが、限界を超えた例だ。
一時期は「HDMI」に一本化されると見えたパソコンとディスプレイを結ぶケーブルも
専用の「ディスプレイポート」が出現し、今も進化をつづけている。
では、なぜ、携帯電話は集約が止まらないのか?
それは、通話用の携帯電話という機能が、
実は「画期的だが発展の余地の乏しい機能」であり、
今後の発展の余地がないため、「集約」という段階で停滞してしまっているのだ。
この場合、携帯電話は「HUB」であり、集約される機能が「スポーク」になる。
機能の限界は「HUB」の影響を最も強く受ける。
携帯性、待ち受け時間、通話時間、マイクとスピーカという最低限の機能を
実現することをまず要求され、その上にスポークとしての付加機能がついてくる。
では、なぜそこまでして付加機能を付けるのか?
「差別化」のためである。
通話機能では差別化できないからだ。
操作性はある程度の差別化にはなるが限界がある。
なんでこんな話を始めたかというと、
最近のアップル社の戦略が、「全てにおいて中途半端」を追求してるからだ。
iPodに至っては、携帯用音楽プレイヤーですらなくなってしまった。
携帯して音楽を聴くだけなら、携帯電話でもゲーム機でもできる。
携帯用音楽プレイヤーの主目的は「音楽を聴くこと」であって、
犠牲にしてはいけない一線があると思うのだが、最近のiPodは音質が最低だ。
その証拠に、iPodを視聴させてくれるお店は意外に少ない。
WalkManを視聴できないお店も少ない。
ゲームセンターでとれるおもちゃと勝負しているのではないのだから
MP3ファイルを再生できればいいというものではないはずだ。
以前のアップルは非常に良い製品を作っていた。
しかし、今は、大したことのない中途半端な製品をマーケティング能力だけでばらまく
そんな会社に見えてならない。
昔みたいに、目を見張るものを作ってほしいものだ。
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テーマ:モバイルライフ - ジャンル:コンピュータ
- 2010/02/05(金) 14:00:07|
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