「官僚たちの夏」を見て思った。
基本的に官僚の仕事を美化して単純に表現しているのだが、
誰の画策によってテレビドラマ化したのかはわからないが、
官僚は生き残りに必死だということだ。
ドラマであらわされている内容を単純にみると、この程度の仕事であの人数は必要ない。
民間企業ならごく少人数(多くて5人程度)のプロジェクトチームが行うような仕事だ。
あの程度なら官僚などというおうぎょうな組織は必要ない。
あのドラマを見て「官僚は必要なんだ」と思う人がどれくらいいるかはわからないが、
全てが過去の話だ。
戦後の混乱期に各省庁の官僚が機能していたことを疑う人間は多くはないと思う。
しかし、現在、省庁は官僚制度が末期的状態を迎えている。
一つの組織が形態を変えずに存続できる期間は3年から長くて30年といわれている。
それを過ぎると、組織は存続そのものが目的となり、社会的意味を失う。
いい例は、『特捜』だ。
民主党の元党首をつるしあげてみたものの、裁判官には「単純な企業側の政治献金規制法違反」を認定させることしかできていない。
「工事の受注につながる働きかけや謝礼としての意味証明できていない」と判決で指摘されている。
現在の官僚は自分たちの仕事づくりと利益確保に一生懸命で国民を見ていない。
少なくとも国民からはそう見えている。
国民は官僚に税金を使ってほしくないし税金から給料を払いたくないというところまで来てしまっている。
本当に組織の存続を願うなら、組織を見直し、分業と協業、選択と集中を行い、シェイプアップされた組織で組織の社会的存在意義と国民の信頼とを取り戻さないといけない。
そうしないと、日本という国の消滅とともに官僚組織は崩壊するだろう。
スポンサーサイト
テーマ:日記・日誌 - ジャンル:コンピュータ
- 2009/07/27(月) 12:47:48|
- 未分類
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0