今日は「なぜ公務員は税金を無駄遣いしても平気なのか」について考察してみよう。
ここで、重要な前提は、民間企業と同じように
「働いている人は職場で評価されたがっている」という前提に立ってみよう。
ここで確定する一つの事実は、
「やらなければいけないことをいかに効率的に、いかに安価に実現するか」や
「いかに安価に顧客(国民)に(税金のコストパフォーマンスの高い)豊かなサービスを提供するか」ではないということだ。
この前提からは税金の無駄遣いは発生しないからだ。
ということは、「顧客(国民)目線に立った評価基準ではない」ということになる。
そうなると、評価基準は限られてくる。
たとえば、「いかに大きなプロジェクトを成功させたか」といった評価基準になる。
大きさの尺度は、おそらく「金額」になる。
しかも、顧客(国民)にわたる「金額」ではなく、「使った金額」になる・・・はずだ。
たとえば、資料館を立てようと思ったとき、「土地が安くて広い場所が確保できて、それでも人が来てくれる場所」などという基準は考えられない。
「使う金額」が小さくなってしまうからだ。
選ぶなら、「都心の一等地」、「無駄に広い展示スペース」、「有名で高いデザイナー」となる。
その結果、都心の一等地に無駄な公共施設が増える。
なんだか、事実と合致している。
東京電力もグループで見ても、都心の一等地にいくつもの自社ビルを構え、
事故後も売却の話ひとつ出てこない。
全ては、電力料金という税金に置き換わっている。
財務省の仕事を見てみよう。
同じ考えで行くと、
「いかに大きな金額を無駄なく配分したか」
ということになる。
すると、2つの方針が示される。
「配布した税金は残さず使わせる」残ったということは、無駄な配分があったといわれ、評価が下がる。
「新しい税金の取り口を探す」新しい税収がないと大きな金額の配布ができない。
うーん、事実と一致する結果になる。
まぁ、単純に考えただけだけど、
官僚の人たちの考えのアルゴリズムを解明する足掛かりとしては間違っていないんじゃないかな?
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- 2012/02/03(金) 13:08:27|
- つれづれ日記
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