大学生時代、Windowsに関する記事を学会誌に寄稿したことがあった。
その学会誌が最近発見された。
まだ、Windows3.1の発売前で、Windowsは、3.0a フロッピーディスク3枚組かなんかだったと思う。
MS-DOSのアドオンみたいな感じでインストールして、
20MByteのハードディスクにすっぽり収まった時代だ。
当時、インターネットもUUCP(UNIX to UNIX Copy)全盛で情報は雑誌くらいしかない。
そんな時代。
私は、自費でWindowsを購入し、EpsonのNEC互換機にインストールした。
ハードディスクを買うお金を惜しんだ私は、
当時出たばかりのハードディスクモードを持ったMOドライブを大枚はたいてで購入し、
メモリーは大きなドーターカード一枚だった。
私は、Windowsに一目ぼれした。
MS-DOSの時代、みんなだ酷評したDOS Shellが大好きだった変わり者の私は、
Windowsを「今後普及する!」と明言した。
・・・
この記事は、実は周りの人から酷評されることとなった。
実名で寄稿していたので、大学の計算機センターの人や知り合いからサンドバック状態だった。
「これだから、UNIXもMACも使ったことのない奴は」といったことを言われた。
実際のところは、大学時代、UNIXに関しては、管理者クラスの経験者だったし、
MACはアルバイトでメンテナンスしながら使っていた。使用者 兼 管理者だったのだ。
だからよく知っていた。
MACは素晴らしいOSだ。最初に触るマシンがMACなら、のめり込む人もいるだろう。
しかし、私とは、操作の感覚が全く異なっていた。
私にとって、MACのソフトウェアインストール(FDやCDROMをハードディスクにドラッグするだけで完了する)や
メニュー操作は直観的な感覚の全く外にあるものだった。
FDやCDROMをハードディスクにドラッグしたら内容をコピーしてほしかった。
FDやCDROMでプログラムを保管し続ける感覚は私には全くなかった。
当時、FDやCDROMは壊れやすいものだった(今もそうだが・・・)
だから、私の感覚では内容は壊れにくいMOやハードディスクにバックアップしておくものだったのだ。
MACはそれを許してくれなかった。
UNIXはそれ以前の問題だった。
使うだけならだれでもできるかもしれないが、管理しようとしたとたんに普通の人には無理。
今のLinuxと比べても非常に幅広く深い専門知識が必要になり、
普及するといえる代物ではなかった。
Windowsは、MS-DOSユーザの私の心を貫いたのだった。
Windowsは、当時、様々な理由で酷評されていたが、
私の感覚では、MS-DOSユーザを中心に普及すると見た。
実際、Windowsは、Windows 3.1でじわじわユーザを伸ばし、
Windows 95でブレイクする。
Windows 95が出た当時、私はすでに社会人だった。
その時、なぜか自分のことのようにうれしかった。
その後、Windowsに絡む仕事をいくつかして今に至っている。
私は、Windowsと因縁があるらしい。(^^)/
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- 2012/01/18(水) 13:13:49|
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