第一一章 旅の途中
あれから、もう二十年以上の時が流れた、未だにユールは約束を果たしに来ていない。
俺はお兄さん達兄弟と城の兵士四人と一緒に早瀬川の町に戻った。
あの日のお昼ご飯を約束通り、親父さんの店で摂る為に一人で行ったら、お兄さん達も食事をしていたのだ。親父さんは残念そうなそぶりも見せずに、
「新しい人生の幕開けだ。良い経験になっただろう?」
と行って「がははっ」と笑った。慰められるより嬉しかった。
そして、旅は道連れ、とばかりに一緒に行く事になったのだ。
ユールはその日のうちにヨーロッパに旅立ったそうだ。
その一年後、俺は、木こりの娘と結婚した。
さらに一年後、俺の元に大きな荷物が届いているというので大八車を借りて学院の売店に行ったら、大きな木の箱が三つ、中には色々な木で出来た水車や歯車、軸や軸受けの模型が入っていた。
これらがその後の俺にとってとても役に立った。
そして、一枚の手紙、内容は一言
「私達は元気です。」
と書かれていた。
お兄さんとは今でも交流がある。巡業で早瀬川に来ると必ず顔を出してくれる。
妹たちは結婚してしまって、別の兄弟やお母さんと一緒の時もあったが、今はだいたい奥さんと子供達と一緒だ。
俺は、何だかんだいって、各地を回って水車建設の手伝いと講義に大忙しだった。その甲斐もあって、王から借りた王都で土地付きの家が二軒は買えるほどの融資も殆どが返済を免除された。
今は、丈夫な奥さんと八人の子供達と幸せに暮らしている。
ただ、七歳になる末っ子が、やんちゃ盛りだ。
俺は今、斧をどう改良しようか悩んでいる。
ユールから鋼の作り方はちゃっかり盗んだものの、切れ味の良くなった斧は普通の斧に比べて刃こぼれが酷いと言われているのだ。
悩んで、出来たばかりの斧の刃を立てかけたとき、まさにその末っ子の泣き声が聞こえてきた。
「わーん、何だよぉ、離せよぉ。わーん。」
また、どこかの大人に叱られて連れてこられたんだろう。最近、近所の親父が見かねて引きずってくる事が多くなったのだ。
そう思って立ち上がったとき、作業場の入り口から歌うような女性の声が聞こえてきた。
「貴方は子供のしつけが下手だったのですね。初めて知りました。」
間違いない、何年経っても忘れる事の無い、この声は!!
作業場の入り口に向かって走っていった俺を待ち構えていたのは、
ゴン!!
杖の先だった。
ユールに飛びついて抱きしめようとした俺を、事もあろうか、ユールは杖で受け止めたのだ。
俺は、鼻の頭をしこたまぶって、涙を流しながらしゃがみ込んでしまった。
「酷いよ、ユール。」
「貴方も・・・いいおじさんになりましたね。」
「ユールは・・・本当に変わってないね・・・て言ったら傷つくかな。ごめん。」
「いえ、気にしません。各国の王からいつも言われています。」
俺たちは本当に久しぶりに笑い合った。
「良いから離せよぉ。」
息子はまだ服の首の後ろをしっかりと握られ、ぶら下がっていた。
「おい、またなんか悪さをしたのか?」
と、俺は息子の顔に鼻を近づけて聞いた。
「何にもしてないよぉ。」
いつもの台詞だ。
「女の子をいじめていました。私が注意したら、私におしっこを引っかけようとしました。」
と言ったのはユールの隣に立っているローブを被ったユールと同じくらいの背丈の娘だった。
「ひょっとして、ルナ?」
「はい、お久しぶりです。」
ルナは、ローブのフードを後ろに下ろしながら言った。昔の面影はあったが、美人になっていた。でも、見かけ上、三~四歳しか年をとっていないようにも感じる。
俺は、笑顔を交わした後、
「ははーん、いじめていたのはみぃちゃんだなぁ、お前あの子が好きだもんなぁ。」
と息子に言うと、「そんなんじゃないやい。」と言いながらそっぽを向いた。
ユールが手を離すと、息子は「ばーか、ばーか」と言いながらどこかに走って行ってしまった。
その様子を聞きつけた俺の奥さんが家から顔を出した。
「あら、こんにちは、こちらの方はお知り合い?」
奥さんは、俺に質問した。
「あぁ。昔話した事があるだろう、『ユール』だよ。」
「あぁ、あの!。本当だったんだ、お母様も言ってたけど、信じられなかったのよねぇ。初めまして、武の妻で麻由美です。夫が昔お世話になったそうで。」
麻由美は礼儀正しく挨拶をしてくれた。
「いえ、こちらこそ、日本各地で旦那様の仕事の成果を見ては嬉しく思っているのですよ。お礼を言わなければいけないのは私の方です。良く、旦那様を支えてくれました。お母様はご健勝でしょうか。」
ユールもいつも通り礼儀正しかった。
「お母様はまだまだ元気ですよ。今呼んできますね。」
と麻由美は母屋に走って行った。
ユールは振り返ると、
「今日は約束通り、日本刀を鍛えるところをお目にかける為に参りました。」
「えっ・・・あぁ飛行機の中での!!そんな事忘れてたよ。」
「約束ですから、色々準備してきました。仕事場を二日間ほどお貸し願いたいんです。」
「勿論・・・だけど、今日は久しぶりに会ったんだ、ゆっくりして行ってくれるんだろう。」
「そうですね、今回はゆっくり出来そうです。そうそう、悠太とも仲良くして頂いているそうで、お礼申し上げます。」
「良いよ、なんか他人行儀だな。もっと砕けても良いのに。」
と俺が行ったとき、母が母屋から出て、両手を広げてユールに抱きついた。
「あぁ、ユールさん。お久しぶり。ちっとも変わらないのね。」
「お母様もご健勝で何よりです。ご無沙汰しております。」
「ずっと言いたかった事があるのよ。本当はユールさんが武のお嫁さんになってくれると思ったんだけどね。でも、麻由美さんも良いお嫁さんなのよ、本当に助かっているの。武は人を見る目があるわ。」
「良かったですね。私も自分の事のように嬉しいです。」
「今夜はゆっくりして行ってくれるんでしょう。それにもっと砕けてくれても良いのよ。」
「ふふふっ、親子ですね。タケルさんにも同じ事を言われました。でも、奥様もいらっしゃいますし」
「あら、気にしなくて良いのに。」
「お母様、嬉しそうね。ユールさんに会えて。」
麻由美が俺に耳打ちして来た。
「あぁ、娘時代からの憧れの人だったんだって。俺も最初に連れてきて初めて知ったんだ。」
母とユールは、今夜の夕食を一緒にするとか、色々旅の話を聞かせろとか話をしているようだった。
「『二輪の花の記憶』ね。私も会ったときの為に読んで置けって言われて読んだわ。あの中では、ルナさんが一番のお気に入りだわ。奥ゆかしくって、他人思いで。」
「そこにいるよ。」
俺はルナを示した。
「えっ。」
「どうも、はじめまして、ルナです。」
「本物?本人?」
「あの頃の身体は年老いたので取り替えました。当時の記憶があるという意味では間違いなく本人です。」
「あぁ、本当に無愛想。身体を取り替えられるの・・・本当に人間じゃ無いんだ・・・。」
「えぇ、私の本体の大部分は月にあります。私は、一応、端末と有機頭脳の役割を担っています。」
「よく判らないけど、今夜は夕食を家で食べていって下さい。色々話しを聞かせて下さいね。」
なんだか、女性同士だけで話が進んで俺は置いてけぼりを食らっている感じだ。まぁ、明日からはおそらく俺がユールを独り占めするんだから良いか。
その夜は、お袋も麻由美もユールも料理を造って持ち寄り、盛大な晩餐になった。
嫁に出た娘も、結婚して離れて住んでいる息子もみんな集まった。
その中で末の息子の健太は、何故かルナの膝の上でご飯を食べていた。皆が降りろと言っても降りず、ルナに麻由美や俺の娘達が「重かったら下ろして良い」と言っても、ルナは「別に構いません。」と返したので、そのままになった。
健太は何故かルナが気に入ったらしい。
食事もそうだったが、会話も盛り上がった。
特に、三人で旅をした時の話しで、俺が温泉で気絶したときの話しは、ルナが余計な事を一杯言ったので、たいそう盛り上がった。ついでに、俺は嫁に睨まれた。まぁ、「結婚する前の話しよね。」と言ってもらえて、何とか収まったが・・・。
もう一つ盛り上がったのは、やはりユールとルナの大立ち回りだ。どう凄いのか、俺はあらん限りの言葉を尽くして説明し、ユールは町の見回り役でも有る息子に、「指南して欲しい」とせがまれていた。
時間が進み、食事も終わりに近付いたとき、ユールが明日からの予定を話し出した。
「明日から二日間かけて、私達は刀鍛冶の技術を披露します。これは、学院が教える中でも最も伝承が難しいとされている技術の一つです。健太君、君は明日から見に来ても良いですよ。最後まで我慢してみていられたら、びっきりのお菓子を持って来ましょう。どうです?ルナにも手伝って貰いますから、一日中ルナといられますよ。」
「うーん、仕方が無いなぁ。学校も無いから付き合ってやっても良いぜ。」
と、偉そうに判った風な口をきく健太に、何故かユールは満足そうに微笑んだ。
やがて、楽しい時間も終わりを告げ、ユールとルナは片付けを手伝うと学院の施設に戻って行った。
翌日、ユールとルナは馬車に乗ってやってきた。馬車を引いている馬はさすがにカストゥルとポルックスでは無かった。でも、その子孫に当たる馬らしい。
二人は協力して二つの大きな荷物を下ろした。一つは封印が施してあった。
ユールは、仕事場の邪魔にならないところに封印を施した荷物を置き、
「この中には、今から私が使ってみせる道具の一式が封を切らない限り痛まないように大切に保管されています。貴方や貴方の子供達、孫達が使うときが来たら封を切って下さい。」
と言った。もう一つの箱には、大きな金槌や長細い木の桶のような物など本当の様々な物が入っていた。
しかし、仕事場にあるような物はそのまま使う様だ。
ユールは、健太に「焼き入れ」と「焼き鈍し」を見せた。柔らかい針金が焼き入れする事でパキッと折れるようになり、焼き鈍す事でまた柔らかくなる。
そして、鋼と軟鉄の違いを見せた。堅く刃こぼれしやすい鋼、柔らかく切れ味の悪い軟鉄。
ここから、ユールは驚くべき技術を披露した。
軟鉄と炭を重ね鍛え鋼と軟鉄の層になった塊を造り、それをルナと二人がかりで何度も折りたたみ、何層にもなった刃を鍛え始めたのだ。ユールは、軟鉄と鋼を重ねる事で刃こぼれしにくく、しかし切れ味の良い刃を造るのだと教えてくれた。まさに、俺が斧について悩んでいた事の一つの答えがここにあった。
「この層は、重ねすぎても、重ね足り無くてもいけません。丁度良いところは自分で探して下さい。」
とユールは忠告のように教えてくれた。
健太は途中で眠ってしまったが、
「ここから先は、しばらく刃の形を作る作業です。寝かせてあげても問題ありません。」
と言った。見学していた子供達も最初から最後まで付き合う者はいないようだった。俺は最後まで付き合うと決めた。
刃の形を作る工程にも様々な工夫がある事がよく判った。そしてこれを子供達に伝えるのは俺の仕事だと確信した。
朝になり、健太が起きてきた。それでも、刀作りは休まず続いていた。その時は、丁度、焼き入れと焼き鈍しを繰り返していた。そして、ルナが粘土のようなものを持って戻ってきた。
焼き鈍しが終わった刃に粘土をのせていった。
「健太君。この水に手を入れてみて下さい。」
ユールが焼き入れに使う水の入れ物を指した。
健太は、恐る恐る手を入れた。
「暖かい。」
続いて俺も手を入れてみた。お風呂と同じかそれより暖かいかもと言うくらいの温度。
「昨日の焼き入れと焼き鈍しは覚えていますか?熱した鉄を冷たい水に入れるととても堅くなるけど、折れやすくなります。でも、刀は折れやすくてはいけないし、適度に堅くて良く切れなければいけない。」
「中間にしたいんだね。だから温かい水で焼き入れするんだ。」
「その通り、さすが頭が良いですね。」
ユールはにこやかに微笑み、また、厳しい顔に戻って、粘土をのせ終えた刃を熱し始めた。まずは粘土がはげないように火の上であぶり、粘土が乾くと火の中にゆっくりと入れ、ふいごを轟々と吹いた。やがて、火から刃を取り出すと、数瞬間を置き、「今」と言うと、その刃を先ほどのお湯の中に突っ込んだ。
じゅわわという音とともに強烈な湯気が上がった。
しばらくすると、刀をお湯から引き上げ、まだ黒いその刃を眺めて、机にゆっくり置くと「午前の仕事はここまでです。」と言って立ち上がった。時間は丁度お昼、昨日の朝からここまで休み無しだった。
ユール曰く「ここまでは休めないんです。一気にやるしか無いんです。」との事だった。
お昼ご飯を挟んで、午後は研ぎ出しだった。これも途中までルナと二人がかりの大仕事だったが、最後の仕上げはとても繊細な作業だった。ユールの刀が何故半分が鏡のようで半分が銀のような白なのかやっと判った。鏡の部分は軟鉄を丁寧に磨き上げた部分。半分は鋼と軟鉄が層になっている部分だったのだ。
できあがった刀には柄とさやが準備してあった。ユールは、それを仕事場の奥に飾り、健太に説明するように、
「この刀はまだ刃が付いていません。貴方が自分の腕に自信が付いたら研いで刃をつけてあげて下さい。」
と言った。健太は、黙って頷いた。
その頃、外はすっかり暗くなっていた。
ユールの仕事にはそつが無く、仕事が終わったとき、仕事場の片付けは殆ど終わっていた。
ユールとルナは、「明日お菓子を持ってきます。」と約束をして帰って行った。
俺は、見ているだけで疲労困憊して帰ったらご飯を食べたのかも覚えて無く、泥のように眠った。
翌朝、目が覚めるとお昼近かった。俺が疲れていたので、麻由美は気を利かせて寝かせてくれたらしい。
昼過ぎにユールはルナとやってきて、いつか食べた籠いっぱいの林檎の焼き菓子を持ってきた。
お袋もその焼き菓子を見て喜んだ。
そして、とうとう分かれ時がやってきた。
ユールは、
「私は、多分、もう貴方と会える時間が無いでしょう。沢山の思い出をくれた事に感謝します。」
と右手を差し出した。
「もう会えないのか?」
「私は、同じ身体をもう一人の私と分かち合っています。次入れ替わると、私が再び出てくる頃、貴方は多分お墓の中です。自分の意思では入れ替われないのですが、いつ頃入れ替わるかは何となく判るようになってきました。」
ユールは微笑みながら少し首をかしげた。
俺は、堪らなくなってユールに抱きついた。
「奥様に嫉妬されてしまいます。」
「構うもんか。」
俺は、力一杯ユールを抱きしめた。ユールも優しく俺の背中に手を回してくれた。
・・・・・
その後、ユールは本当に現れなかった。噂も聞かなかったが、王都の宿や、学校を見るたびにユールを思い出した。
時代は流れ、健太は立派な職人になり、健太の息子がユールの刀を研ぐ事になった。
人が増え、世の中は物騒な事も多くなったが、学院は未だに健在。ユールもどこかで頑張っているに違いない。
俺も、孫や曾孫に「学校で勉強出来るのはユールの御陰なんだぞ」というのが口癖になってしまった。
時代が変わり、古いものが少しずつ失われ、町には町の、日本には日本の文化が育ちつつある。あの頃ユールが夢見た世界が出来てきているんだろうか。この年になってあの時のユール気持ちが判ってきた気がした。
-おわり-
テーマ:自作連載小説 - ジャンル:小説・文学
- 2013/04/11(木) 12:35:09|
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第一〇章 いろいろな答え
結局、何も思いつかなかった俺は、お兄さん達と行ったお店に戻っていた。
俺の顔を覚えていたマキちゃんが対面卓に案内してくれた。目の前には親父さんの無骨な顔があった。
「どうしたんだい、しょぼくれた顔して、女にでも振られたのかい?」
と言いながらお酒を出してくれた。俺は
「俺飲めないんだ。お茶が良いかも・・・」
と笑顔で返したつもりだったが、酷く顔がゆがんでいたらしい。親父さんは、「一杯飲んだらお茶を出してやるよ。」と真顔で返してきた。
俺は、出されたお酒をちびちび舐め始めた。親父さんは、
「何があったか話してみな。なぁに、こんな商売だ、大事な部分はみんな忘れてやるから安心しな。」
と行ってくれた。俺は、何から話して良いのか判らず、でも、嬉しいのか悲しいのか、涙が止まらなくなり、泣きながら親父さんにいろんな話をした。親父さんは、俺の話が終わるまで、「うんうん」と言いながら聞いてくれた。
もしかしたらかなりまずい内容も話してしまったかも知れないが、親父さんは眉一つ動かさずに聞いてくれた。俺の話が終わると、親父さんは
「で、お前さんはどうしたいと思っているんだい。」
と聞いてきた。
「それが・・・判らなくなっちゃったんです。」
俺は、項垂れた。
すると、親父さんは、
「俺には何となく結末は見えちまってるんだがぁ。そうだなぁ、助言にならねえかも知れねえが、俺なら、今夜その女を抱いちまって、『帰ってきてくれ』って言うかな。誰かの幸せじゃねぇ、自分と自分の子供達の幸せだけを考えるかな。俺なら、な。」
と言って、にかっと図体の割にかわいい笑いを見せてくれた。
俺は、
「俺には無理かも、でも、そうだね、何となく結論が出たような気がする。ありがとう。親父さん。」
俺は立ち上がってお金を払おうとしたが、親父さんが、
「今日は俺のおごりだ。上手くいっても行かなくても明日の昼はここで食ってくれ、それでいい。」
と言ってくれたので、俺はお礼を言って店を出た。辺りは暗くなり始めていて、もう、とっくに夜の店を開けなくてはいけない時間になっていたが、お店には『準備中』の札が下がっていた。
よく見ると、開店待ちと思われる列が出来ていた。俺の為に店を閉めてくれていたんだと気が付いて振り向くと、親父さんとマキちゃんが並んで立っていて、
「また明日な。」
と笑顔で見送ってくれた。俺は、深くお辞儀をしてお店を後にした。
後ろからマキちゃんの「タケルちゃん上手くいくと良いね」と言う声が聞こえた気がした。
宿に帰ると、食堂でユールとルナが待っていた。
「先に夕食を済ませましょう。」
ユールはぎこちない笑顔で席を勧めてくれた。
俺たちはいつになく静かな夕食を済ませた。
部屋に戻ると、ルナは、「私は隣の部屋で休んでいます。」と言って隣の部屋に入り扉を閉めた。
「ユール・・・俺は・・・やっぱり結婚したい。」
「・・・結婚で無ければいけませんか?離婚もしていただけ無い?」
「・・・ああ・・・」
「・・・これからお願いをします。もしかしたら、最後のお願いになるかも知れません。この返事は私の明日の発言に大きな影響があると思って下さい。良いですか。」
「・・・判った。」
「私を・・・抱いて下さい・・・。」
俺は目を見開き絶句した。
「多分、タケルが思っているとおりの意味です。」
俺は出来るだけ冷静になってしばらく考えた。ユールも黙って見守ってくれた。
「もしも、子供が出来たら・・・俺の知らないところで生んで育てるつもり・・・なんじゃないか?」
ユールの性格からして、おそらくさっきの遣り取りで結婚は無理と考えたはずだ。なのに今「抱いてくれ」というのは明らかにおかしい。
「私達は短い間に深く理解し合えたみたいですね。」
ユールは明確な答えをせずに、おそらく肯定した。
「それは・・・出来ない。」
俺は、言い終わった後、奥歯が折れるかと思うほど噛みしめた。苦しかった。
「・・・判りました。私の返事は明日の審査の後にさせて下さい。・・・我が儘でごめんなさい・・・。」
言い終わった後、向かい合ったまま、しばらく黙ってどこか遠くを見ていたユールは、突然、明るく手を叩き。
「喉が渇きました。ここの主人にハーブティーを持って来て貰いましょう。ここのハーブティーは私の見立てでおいているんです。絶品ですよ。」
と言った後、天井に向かって、
「と言う事で、ムーン、手配をお願いします。ルナにも声をかけて!」
と言うと、天井から感情の無い無機質な声で
『了解しました。』
と返事があった。びっくりしていると、床の一部に穴が開き、華奢に見えるが簡素な彫り物の意匠を凝らした小さな卓と椅子がせり上がってきた。
また、しばらくすると、ルナが隣の部屋から現れ、宿屋の主人が良い香りのお茶を運んで持って来た。
宿屋の主人は、お茶を一式卓に並べ、一通り注ぎ終わると、静かに退出した。
「ここにも先文明の技術?」
とユールに質問すると、
「はい。私達が生活しやすいように。お風呂も沸いて出てきますよ。」
と明るく笑った。
その後、普段通りの雑談をしながらお茶を頂いた。ほのかに甘く、非常に美味しかった。
しかし、ふっと思い出して気になったのでユールに質問してみた。
「この後ヨーロッパに行かないといけないって言っていたけど、何処に何しに行くの?」
ユールは、しばらく考えた後、つらそうな表情で答えた。
「停滞型シェルターが一つ扉を開きました。シェルターは扉が開く前に予兆があるのでルナフォーが対応に当たっていたのですが、手伝いの三人のアルテミス共々殺されました。」
「なっ。ルナフォーってルナより弱かったの?」
「いいえ、互角か・・・成長していた分だけルナツーより強かったかも知れません。」
「!!」
俺は思わず立ち上がった。
「人間を含めて自然界の動物でルナを不意打ち出来る、あるいは互角以上に戦えるモノを私は知りません。私はまだ確認していませんが、ルナの戦闘時の記録は全てムーンに保管されています。ムーンの分析では十分に成長したルナが二人いれば勝てただろうという事です。そして、攻撃してきたモノは間違いなく、生き物だったそうです。」
「・・・一大事・・・なんだね・・・」
「おそらく、何らかの理由で人間の遺伝子に手を加えた結果、凶暴な魔物を作り出してしまったんだろうと言うのが、今の予想です。しかし・・・もし、私と同じ再生能力を身につけていると・・・対応出来るのは私しかいません。・・・それに、今自由に動けるのも私とルナツーだけなんです。今は、ムーンが空の上から問題の起きている一帯の全ての動く生き物を監視しています。」
「それで、まだ時間的な余裕はあると?」
「周囲の動物が影響を受けていますが、一番近い町まで二十キロ有ります。今、その町では、学院の指導で城壁などを急ごしらえで作っている最中だそうです。問題なのは、停滞型シェルターから出てきたという事は、おそらく繁殖能力も持っているだろうという事です。また、未知の病原菌も恐ろしい問題です。・・・遺伝子を操作するような研究をしていた停滞型シェルターですから・・・。」
「大丈夫なの?・・くらいしか言えない自分が情け無い。」
「ルナフォーが持って行った機器が破壊される前まで収集していた情報では問題のある物は見つかっていないそうです。」
「聞いたら心配になっちゃったよ。」
「心配は無いですよ。ユールは死にませんし、ユールの一番側にいる私は一撃で死なない限り直ぐに治療してもらえるユール以外では一番安全な立場なんです。」
とルナが無表情で答えた。
何となく安心は出来なかったが、ユールがどうしても行かなければいけないと言う事は理解出来た。
その後、なんと言う事の無い会話が続き、今日は早めに寝ようという事になった。
ユールは簡単な片付けをしていたので、俺は先に布団に入った。
うとうとと眠りかけたとき、ユールが俺の寝ている布団に入ってきて、後ろから抱きついてきた。そして、俺の背中に顔を埋め、「お休みなさい」と静かに言った。
俺も、「お休み」と答えると深い眠りに落ちていった。
朝起きたとき、俺はユールを抱きしめるような格好になっていた。ユールはまだ眠っているようだった。寝顔はまだ幼さが残る少女だった。こんな娘が俺の想像も付かない苦労をしているんだと思ったら、感極まって腕に力を入れて抱きしめてしまった。
「うっ、タケル、痛い。」
とユールが目を覚まして言った。俺は、
「あっ、ごめん。」
と力を緩めた。
「おはようございます。・・・ひょっとして、寝顔を見られちゃいましたか?恥ずかしいです。」
とはにかんだ表情がまたかわいかった。
「おはよう。しっかり堪能させて頂きました。」
と返事をすると、ユールはふてくされたような表情になり、枕を俺に押しつけて自分は布団から出て行ってしまった。
俺は、色々考えながらしばらくぼーっと枕を抱いていたが、やがて起き上がって着替えを始めた。
ユールは相変わらず着替えが無いので、椅子に座って何かを待っているようだった。
やがて、宿の主人が昨晩とは違う香りのするお茶を持って来た。宿の主人は
「目覚めのお茶です。」
と言って、昨晩の茶器を片付けて新しい茶器を手早く並べ、一通り注ぎ終わるとそのまま出て行った。
それと同時にルナが半分寝ぼけた表情で寝間着のまま部屋から出てきて、
「おはやうござぃます。さくばんはおたのしみれしたね。」
と寝ぼけた声で言ってきた。
「おはよう。いや、楽しんでないから、ぐっすり寝てたから。」
と俺は返していた。
「おちゃをいたらきまふ。いたらいたらおおふろにいってきまふ。」
寝ぼけているルナは珍しい。
「そうして下さい、王の前で失礼の無いように寝汗を落としてくると良いでしょう。」
とユールは笑顔で言った。そして、
「ルナは、普段気が張っているので、安全な宿ではいつもこんな感じなのですよ。」
と説明してくれた。その表情はいつものユールのものだった。寝顔とは対照的な大人びた表情。どちらが本当のユールなんだろう。そんな事を考えながらお茶を頂いた。
その後、俺は何故かルナとお風呂に入っていた。隣の部屋がお風呂場に変わっていたのだ。ルナは、俺の背中を流してくれたが、俺が背中を流そうとすると、「変な事をされそうなので結構です。」と言って逃げた。変な事をするつっもりなんて無かったのに・・・。
その一時間後、俺たちは王の前にいた。
「では、タケル、貴方の口から水車の仕組みとその利用方法について思っているところを教えて下さい。」
王の声が謁見の間に響いた。王の隣にはユールがいた。
俺は、先日お兄さんにユールが説明していたときの事や、教授に教えて貰った事などを思い出しながら一所懸命に説明した。
説明が終わった後、王はユールに向かい、
「賢者様は彼と旅をされて来たそうですね。私情が入るようならご意見を伺わない方がよろしいのでしょうか?」
と問いかけた。
ユールは、少し俯き、やがて王に向かって顔を上げ、
「私の個人的な感情で物を言えば、融資はして欲しくありません。」
ときっぱり言った。
俺は、背中が寒くなるのを感じた。「だめかも知れない。」そう実感した。しかし、
「しかし、私の立場から物を申すのであれば・・・、」
ユールは、喉を詰まらせながら続けた、
「少し、昔話になります。
人類は、地球の環境を自分たちの住みづらい環境にしてしまい、唯一、再生手段を提供出来た学院に地球の将来をゆだね、自分たちは、宇宙植民地惑星や停滞型シェルターで約七百年を過ごす事を選択しました。一部の者は、移民宇宙船で生存可能性のある惑星を目指しました。
いずれの環境でも、水は貴重な資源で、川や噴水などを造る事は決して無く、水を利用した技術が人々に知られなくなるのに殆ど時間を要しませんでした。
これは、学院が想像したよりも致命的な・・・致命的な事態だったのです。
しかし、学院には学院の決まりがあり、その技術を伝える事が出来ませんでした。
私達は、待ったのです。待っていたのです・・・水車を復活させてくれる人を・・・」
ユールは泣いていた。
「ごめんなさい。これ以上は・・・」
と言い残してユールは走ってその場を退席してしまった。
王はしばらくの沈黙の後、
「貴方も罪な人ですね。賢者様があそこまで感情を表出されたのを見た事がありません。・・・しかし、賢者様には申し訳ありませんが、賢者様には・・・失恋して頂きましょう。」
と言った。
俺は何のことだか判らず、ただ、王をみあげていた。
「実は昨晩、悠太殿が来たのです。」
「えっ?」
「悠太殿は、もし賢者様が融資をするべきで無いと言ったら、多少の不備なら融資してくれと言って来たのです。」
「どうして・・・」
「賢者様は一つのところに長く止まる事が出来ません。姿が変わらない為、本人や家族が酷い目に遭うからです。想像して下さい、羨望や異形のものに対する恐怖から化け物をにるような目でよく知っていたはずの、仲の良かった友人が自分や家族に牙をむく、そんな場面を。」
「・・・簡単には想像出来いない・・・」
「賢者様は何度もつらい目に遭い、結果、放浪する事を選んだのです。移動を繰り返し、自分を深く知るものは家族だけというそういう生活を選んだのです。・・・多分、他に道は無かったのでしょう。人と関わらない事は人間である以上無理なのですから。」
「それと、ユールの失恋とはどういう関係が?」
「賢者様は、融資がおこなわれ無ければ・・・貴方が水車を建てる事を諦めれば、一緒に放浪を続ける道もあるかも知れないと、その僅かな望みにかけたかったのかも知れません。」
「・・・ユールは、その事を俺が知れば、水車作りを俺が諦めてしまうかも知れないと・・・そう思ったと・・・だからあんな・・・っ。」
「今から逃げる事は許しません。貴方に融資します。金貨で二千枚。これが裁定の結果です。・・・ユールと話したければ、外にいるルナに案内して貰いなさい。では、退出して結構です。」
王は、態とと思われるくらい事務的な態度をとった。
俺は、深く礼をすると退出し、ルナにユールのところまで案内して貰った。
「ユール・・・俺・・・俺は・・・」
ユールは城の天守閣で外を見ていた。風に髪が流され、綺麗にたなびいていた。
「その様子では、融資をうけられたのですね。良かった。」
「ユール」
「私は・・・失恋してしまいました。でも、御陰でタケ・・・貴方の事は吹っ切れました。私以外の人と幸せになって下さい。
貴方は成長しました。この僅かな時間で・・・だから、貴方は幸せな結婚が出来ると確信します。」
「もう、タケルとは呼んでくれないの?」
「もう呼びません。でも、約束がありますから、またいつか・・・貴方の子供の顔を見に行きます。その時、私は貴方との約束を一つ果たします。」
「約束って?」
「覚えていないなら、その時の楽しみにしておいて下さい。・・・いつになるかは判りませんが、その時結婚していなかったら怒りますからね。しっかり子供の顔を見せて下さい。・・・私が授かる事の無かった貴方の子供の顔を・・・。」
そう言って、ユールは俺に右手を刺し出した。
俺は、右手で握手した。その手はいつも通り、生まれたての子供のように柔らかく、すべすべで暖かかった。
テーマ:自作連載小説 - ジャンル:小説・文学
- 2013/04/06(土) 12:01:10|
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